
世界を変えてしまうという写真が世の中にはあります。
新聞や雑誌のトップを飾り、人々の脳裏に焼きついて離れません。
ここに集められたのは主に20世紀を中心とした、人の心を動かした有名な写真の数々で、何度か目にしたものも多いとは思います。
それぞれの写真が世界にどんな影響をもたらしたのか、そして写真の背景や、その後の人物たちはどうなったのかに焦点を当てて紹介しています。
この写真は写真家エディ・アダムス(Eddie Adams)によって撮影され、ピューリッツァー賞を受賞した一枚。サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を、グエン・ゴク・ロアンが路上で射殺するところである。ベトナム戦争のアメリカの介入について世論に大きな影響を与えた。 グエン・ヴァン・レムのことを残虐なベトコンだったとしてこの処刑は正当であったと主張した。 グエン・ゴク・ロアンは後にアメリカへ亡命し1998年に癌のため亡くなった。
黒人青年へのリンチ(1930年)
若い黒人の男性3名が白人女性をレイプしその恋人を殺人した罪を問われ公開処刑された模様を撮った有名な1枚である。 1930年に起きたこの事件はインディアナ州のマリオンと言う町に住む1万人が刑務所に押しかけ、白人をレイプしその恋人を殺人した罪で拘留されていたアフリカ系アメリカ人3人を引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加えた。2人は処刑されそのうちの1人ジェームス・キャメロン(James Cameron)は命拾いし、その後、彼は死ぬまでアフリカ系アメリカ人の法的権利について影響ある活動家となった。この写真は白人主義社会の見せしめではあったが、拷問された処刑者の体とグロテスクなまでに嬉しそうな白人たち群集のコントラストに反感を抱いたものも多く波紋が広がった。
ソウェト蜂起(1976年)
世界の注目を集めたこの一枚は南アフリカ共和国ハウテン州ソウェトで発生した武装事件で、エスカレートした暴動から、13歳のヘクター・ピーターソン(Hector Peterson)が無差別に発砲する警察に撃たれ、警察の暴力のシンボルとなった。ジャーナリストによって撮られたヘクターの死体の写真は世界の怒りを呼び、当時アパルトヘイト政策を敷く南アフリカ政府への国際非難をもたらした。このヘクターを抱く別の少年はその後国外追放となり、1978年に母親がナイジェリアから来た手紙を最後に消息はわかっていない。隣で走る17歳の少女はヘクターの姉で現在もソウェトに住んでいる。
ヘイゼル・ブライアント(Hazel Bryant)(1957年)
当時アメリカでは(人種差別の撤廃を求める)公民権運動がさかんであったが、社会の(有色人種に対する)偏見は根強く続いていた。エリザベス・エックフォード(Elizabeth Eckford)はそれまで白人しか受け入れてこなかった学校へ入学した最初の黒人の一人であったが、当時の白人たちが大いに抵抗を示した。学校に来る彼女をけなす白人ヘイゼル・ブライアント(Hazel Bryant)が写るこの写真は20世紀のトップ100の写真の1枚に選ばれた。40年間この写真によって苦しめられたヘイゼルは1997年にエリザベスに謝罪し、二人が仲良く並ぶ写真を撮っている。
トライアングル・シャツ社(Triangle Shirtwaist Company)の火災〈1911年)
Triangle Shirtwaist社のビルは、女性の移民労働者たちが盗みや仕事から逃げ出したりするのを防ぐために常にドアは施錠されていた。1911年3月25日にこのビルで火災が発生したとき、このロックされたドアが8階にいた従業員たちの運命を決め、たった30分で146名が死に至るという大惨事となった。写真は警察や通行人がビルから飛び降りた死体とともに写っているもので、労働者たちの安全性を見直す運動に拍車がかかった。