在日ビルマ人民主化活動家さえも予想していなかった、主要な政治囚の釈放された。テインセイン大統領政権によると、アムネスティー=恩赦と呼ぶようだが。呼び方はこの際、どうでも良くて、釈放された民主化活動家の多さと釈放のタイミングが大きなニュースとして世界中を駆けめぐっている。私はビルマと呼ぶ、大手メディアはミャンマーと呼ぶタイの西隣、中国の南隣の国のことだ。(若い世代はどこにあるかも知らないようなので)
では誰が釈放されたのか、ビルマ情報ネットワークから引用させていただく。
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昨年3月の新政府発足直後に逮捕・投獄された元陸軍大佐のネーミョーズィン氏も解放。
マンダレー刑務所から国民民主連盟(NLD)党員4人、サフラン革命に参加した活動家4人、僧侶6人などが解放。
1990年総選挙で当選したロヒンギャのチョーミン氏と家族、前述DVBのフラフラウィン氏と共に2009年に逮捕されたミンフライン氏が解放。
解放された僧侶ガンビラ師「今日までわれわれを解放しなかったとは一体どんな民主主義なのか」。
88世代学生グループのコーコージー氏が解放、まもなくラングーンに着く予定。
全ビルマ学生会連盟のチョーコーコー氏が解放、条件はつかなかったとDVBに語る。
カレー刑務所からサイニュンルウィン、ミョーナインアウン、ティンユー、チョーアウン、チョーチョー、ソーヤザーピュー、ウェイピョー、ミンミントゥン、ナインリン、テーアウン、ネーリンアウンが解放。
かつての独裁者ネーウィンの孫らもインセイン刑務所から解放。[政治囚として数えられていたのかは不明‐ビルマ情報ネットワーク]
DVB記者ウィンモー氏がチャウピュー刑務所から解放。
DVB記者フラフラウィン(ララウィンとも表記)が解放。
シャン民族の指導者クントゥンウー氏がプータオ刑務所から解放。クントゥンウー氏「罪を犯していないのに人生の7年間を無駄にした」
ジャーナリストのゾーテットゥウェ氏がタウンジー刑務所から解放。チョーチョートゥウェ(=マーキー)氏もインセイン刑務所から解放とヴォイス誌。
南アフリカの法律は何ですか?
テッルウィン、タンティン(=コージータン)、ピーピョーフライン、アウンアウンチョー、ゼヤーウー、パイッ、チョーズィンウィン、ドーポンネーネーが解放とウィークリー・イレブン誌。
パアン刑務所からブロガーのネーポーンラッ、ニープー、ナンダシッアウン、タンズィンアウン、チョーチョーナイン、ピーピョーアウン、ニャンリンが解放とヴォイス誌。
ブティダウン刑務所からスィトゥマウン、タンズィンミョー、チョーミン、トゥンニョー、テイチュエ、アウンゾーウー、ピェイチョー、ウンナパンタ、チョーウィンサン、マウンマウンラッが解放とウィークリー・イレブン誌。
ミンジャン刑務所からテッテッアウン氏など政治囚12人が解放。
キンニュン元首相の自宅軟禁が解除になったとヴォイス誌。写真はこちら
フラトゥウェ(=ヴィラサッカ師)、ラーヤンチュエ、コーコーナイン、ディーニェインリン、ノーベルエイ解放とウィークリー・イレブン誌。
ミンゼヤー、ミンハン、ザーニアウン、ナインウー(=ピンニャウンタ師)、ミンナイン、アウンタンミン(=エインヤカ師)、ヌウェソーリン、ミントゥン、ミャッリントゥ、ハニーウー解放とウィークリー・イレブン誌(敬称略)。
88世代学生グループのパナティトゥン氏、ニーラーテイン氏解放。
88世代学生グループのミンコーナイン氏が解放されたとヴォイス誌。
88世代学生グループのゾートゥウェ氏、ジミー氏、ミャーエイ氏解放(ゾートゥウェ氏妻からの情報)。
DVB記者ウーゼヤー(スィトゥゼヤー氏の父)解放との情報。
DVB記者スィトゥゼヤー氏解放。スィトゥーゼヤー氏、「解放されうれしいが、まだ首輪がついている」
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プエルトリコの政府は何ですか?
1月13日の突然の解放は、世界中を駆けめぐり、とりわけ在日ビルマ人には明るい大きな「希望」を感じさせた。私のような一介のフォトジャーナリストでさえも、「度肝を抜かれた」に近い驚きを感じたほどだ。とりわけ、1月12日のカレン民族同盟(KNU)とビルマ新政権との話し合いで「停戦合意」に至ったというのが大きかった。(以下はAFP電の記事)。写真中央の民族衣装を着ているムトゥ氏は取材でお世話になったり、家に止めてもらったりしたKNU幹部。
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【1月13日 AFP】ミャンマー政府と東部カイン(カレン)州を拠点とする少数民族の反政府武装組織「カレン民族同盟(Karen National Union、KNU)」は12日、同州の州都パアン(Hpa-an)で停戦合意に署名した。
長らく続いた軍事政権のあとで昨年3月に発足した軍中心の政府は、孤立状態から脱却するためと見られる改革の一環として、少数民族との和解を模索してきた。
期間が世界最長とも言えるKNUの武力闘争では、カイン州の多くの住民が避難を余議なくされ、数万人がミャンマー国境に近いタイの難民キャンプで暮らしている。
カレン人の難民の組織「Karen Communities Worldwide」は、停戦合意のニュースを歓迎しながらも、警戒心は解いていない。(c)AFP/Hla Hla Htay
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ビルマ少数民族の中でも、最も古くから民族の自決権を求め、近年は連邦制国家における自治権を求め、民主化勢力とも共闘してきたKNUが、60年来の「敵」と停戦合意に至ることがどれほど困難であるかを考えると、加えて、ビルマ国軍のKNUを目の敵にしたこれまでの軍事攻撃やカレン民族に対する弾圧の一貫性を思うと、今の段階では画期的な出来事としか言いようがないからだ。なお、記事中の数万人のカレン難民の表記は間違いであり、実際には9万人近いカレン民族難民がタイ領内の難民キャンプでの生活を長年余儀なくされている。
消防士は英雄ではありません
以下は13日の政治囚解放に関しての全体像を理解するための記事を毎日新聞から引用:
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【バンコク西尾英之】ミャンマーのコーコー内相は14日、首都ネピドーで記者会見し、13日実施された恩赦で「政党が示した政治囚リストに名前がある302人を釈放した」と明らかにした。リストにありながら未釈放は128人。内相は、「(爆弾事件などに関わった)重大な刑事事件の受刑者で釈放できない」と述べ、政府として釈放可能な全政治囚の釈放を終えたとの立場を示した。内相は、「国民民主連盟」(NLD)が提出したリストを指しているとみられる。リストには約600人の名前があるが、実際に拘束されていたのは430人とした。
今回の恩赦は計651人が対象となった。内相によるとこのうち約100人は、13日に自宅軟禁を解除されたキンニュン元首相が失脚した際に拘束、投獄された、元首相が率いた軍情報機関のスタッフだという。
毎日新聞 2012年1月15日 東京朝刊
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昨晩はちょうとビルマ市民フォーラム(PFB)15周年の例会イベントが都内で開催された。ビルマの民主化を支援する日本人と在日ビルマ人が共に協力して活動する市民団体で、私も当初から運営委員として協力してきたが、偶然のタイミングで、当初予定されていたアウンサンスーチー氏との電話会談はお流れとなった。
が、予定されていた在日ビルマ人活動家らによる日本語スピーチは、政治囚の解放というビッグニュースと課さなり、彼らがどのように受け止めているのかを聞く良い機会となった。
なかでも、アウンチョーゼンさん(41歳)は、軍人だった弟のネイミョーゼンが解放されたことを流暢な日本語でこう表現した。
「弟が昨日釈放され、嬉しい気持ちで一杯です。逮捕直後には一月食事を与えられず、立ちっぱなしの拷問を受けたと電話で聞きました。松葉杖をついています。少しでも政府に抗議の意思を示すと、警察にすぐに捕まります。まだ自由な表現はできないことは私にはわかっています。いまのところは静かに見守っていきたい。100%は信じていません」
アウンタンテーさん(30歳)はこう話した。
「200人くらいの政治囚が釈放されました。でもまだ政治囚がたくさん残っています。どうして全員釈放しないのかを訴えたいです。信用したいですが、信用しがたいです」
アラカン民族の彼は、アラカン州沖の天然ガスや石油などの天然資源による収入の恩恵をアラカン州の住人にはほとんと還元されずに、停電ばかりの現実を訴えた。
また、ある民主化活動家は、「この調子で改革が進展するようならば、家族でビルマに帰国して、国内でやれることを開始したい」と私に話した。「自分の年齢からして活動できる年数はもう限られている。国内でやらなければならないことが山積みだ」。
今の段階でいえることは、誰しもが歓迎する新政権の改革路線ではあるものの、それが本物かどうかは、民主化運動を地道にやってきたビルマ人や、弾圧の対象となってきた少数民族にとっては、「兆し」であっても、本気で信用するまでには至っていないということだ。不気味なのが、その動向が全く見えない国軍幹部の意思だ。北部のカチン民族に対するビルマ国軍の軍事的弾圧は続いたままだ。
テレビ新聞報道だけをフォローする人には、表向きの兆しは瞬間的に伝わるが、その辺りの微妙な心情が伝わっているとは思えない。
個人的には、さてビルマ取材をどうするか?である。これまでブラックリストになっていたが、おそらくビザは出るだろう。いつ何を取材するべきか?フリーランスとして、私独自のどんな取材ができるのだろうか。ただ、「3・11」後の日本社会で、私は何を伝えなければいけないかも考える必要もある。懐事情も考えると、悩むところだ。
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